◆ざくろ―ジャクロ―「セキソウ」と

NHK京都放送局開局五周年の記念放送として行われた「草木の愛」と題する新村出博士講演の原稿の一部

(ただし、博士の自筆ではないようである。また、NHK京都放送局に問い合わせたところ、開局は昭和7年6月とのこと。新村出記念財団 理事 吉野政治)

ざくろ―ジャクロ―「セキソウ」と

字音より来る。其れは(チガヤ、ツバナのチ・ツが純日本的)とは反対に、物も名も外国的、異国的なり。日本語で、コジツケル学者もあれど、字音の語は疑いなし。

その原名は「安石楷」。支那の古伝説によれば、漢の武帝のとき、(紀元前二世紀)博資候張騫が西域=支那のずっと西の方中央亜細亜、北の方より持帰れりとのこと。歴史上確実トハイヒガタシ。

むろん史記、漢書にはその事なし。後漢以後の詩文、辞書に其の名あらはる。第三世紀(魏)の字書にものせらる。第二世紀の初の許慎の『説文』にはなし。百年後、三国の魏のときに『広雅』に載す。とにかく支那にては、正確なる文献にては第二世紀より第六七世紀まで、唐以前の、六朝迄の文献では、間々出て来れど、初めは、日本及西洋から見る場合と同じく果物(くだもの)としてのザクロを記載し、花の観賞をするやうになりしは、多少後世においてのことなり。「花よりダンゴ」でいたし方ありません。

西洋にては、(エジプト、アッシリアの彫刻にあらわれてくるのと)旧約聖書に出てゐるのを除き、ギリシャ――ホーマーの『オデッセイ』に載ってゐるのを除くと、紀元前三世紀のギリシャの植物志、紀元後第一世紀の植物学書に出てゐるのを古しとする。支那よりも百年乃至四百年古し。ホーマーに遡れば、否西洋では千年以前も古しといふべし。

つまり、ザクロの原産地は西亜(ペルシャ小亜)より、地中海の東部沿岸諸国(ギリシャ・バルカン半島)にて野生のものが、今尚存するよし。此の文化植物の歴史は、西洋の言語学者、東洋学者中にはすぐれた研究者が少くない。今より二十二年前のこと、日本にては大正四年(一九一五)、故人桑原隲蔵の研究尤も注意すべし。

西人の研究にては石榴は、ギリシャ語の Poapo-α の音訳、音を写したものとせしが、それもギリシャに於る外来語にて、古くペルシャ語かセミチ語なりといふ説。とにかく「榴」は支那の漢語にてはなく、外国語なることは争はれぬ。日本の日葡辞書で、国語の「ザクロ」を Roman Asameira と記せしが、ポルトガル語の Ro- といふ語、それは、中世アラビア語から入りしものにて、その Roはザクロの「ろ」と同じであるのは面白い事であります。

「安石」は中世ペルシャの地名その「安」の字を略す。「榴」「ざくろ」には、漢名の異名は随分多い。日本では近世「イロダマ」(色玉)といふ名があるさうだが、梅雨中にさく為「ツユ花」といふさうである。

花を「延年花」と古く唐時代か少し以前からいへり。和名抄に残ってゐる。果は仏教「吉祥花」といふのはその果の「多子(子多し)」なるによる。これは元来必ずしもザクロではなかつたやうである。

果実の功能についてはいふべき事あれど、今日は花を主とする故、略す。日本でも、支那、西洋と同じく、花を愛賞するに至つたは、他の草木の場合と同じく、昔は薬用、食用を第一とし、観賞は第二であった順序である故、相当おくれる。

日本への渡来の時期は不明。(往路朝鮮を経て支那からか、支那から直接か不確。)その時期は、奈良朝にも及ぶかと思ふと、明徴を欠く。万葉、古今の歌にもない。平安朝の中期の初(延喜天暦)にも万葉のツバキの歌ほザクロと誤解して「古今和歌六帖」の中に取扱ひしことあり。鎌倉の初、室町の中程にも、遊戯的によんだ歌はあれど、いづれも花を詠ぜしにあらず。平安中期以後の辞書にもあれど、果を主とす。日記類の文面に散見するもみな果実のみ。

花を賞美せし文献は、室町時代の中期(文明年中)一条兼良の八季往来を初めとするか。それとても夏の花の最終に附け加へたるにすぎず。尤もそれより卅年ほど早く花の伝書にも「ざくろ」の名丈みえてゐる。(十四世紀の初期、末期英国にザクロの名がみえ始めるよりも第十五世紀(応仁の乱前後のこと)百年遅れてのこと。)

徳川初期、即ち今から三百年前にあたる寛永年間の俳書に於てはもはや花を賞美したことが盛にあらはれている。歌人よりも俳人の方が、古くは一歩先んじてゐる。

拙劣なる貞徳派の末流の句(語呂あはせ)

見るかへて扨もみたしや花ざくろ(花ヲ愛シタコト)

それよりはよいのに

色や火焔、妻戸の前の花ざくろ
さみだれの茂みが中のハナザクロ

この頃より、「花ザクロ」が俳諧の「季題」となって、俳諧の方式を作る所の書物にも登録されてゐますが、それも単に新に加へられたといふ丈なり。元禄以後にも蕉風の許六の「百花譜」にすらあつかってゐない程です。芭蕉には俳句に一句もなきか、及其門下にも名句も残ってゐない。

○讕言(花のいろいろ)明治卅一年三月

人の心もや倦む頃の天に打対ひて青葉のあちこち見ゆる中に、思切つゝる紅の火を吐く柘榴の花こそ眼ざましけれ。人の眼をひくあはれさのありといふるもあらず、人の眼をおどろかす美(うる)はしきのありていふにもあらねど、たゞ人の眼(まなこ)を射る烈しさを有てりといふべき。

許六の「百花譜」(風俗文選)にはその花を逸せり。惜むべし。