◆重山文庫と建物の由来

重山文庫の由来

「私の名の「出」(イヅル)の文字から重山(チョウザン)といふ雅号をつけてくれた。」(新村出全集 第14巻”芭蕉回顧”より)

「明治9年(1876年)の10月4日に実父の任地山口県の山口に生れ、前任地の山形から転任して程なく生れた因縁によりて、山山を重ねて、出といふ文字の名をつけられ、丁度上記の佐原の漢学塾に入れられた頃、故旧の老人中村知常と称する宗ヘン流の茶道人から、私の本名に因んで重山といふ号が授けられた。

この雅号はチョウザンと読み、すでに天台の「止観」にも出典がみえたりして、朗読や謡曲「班女」などにも「月重山に云々」と出て来て、よくも付けられたものだと、中村翁を徳として偲ぶのである。」(新村出全集 第14巻”わが学問生活の七十年”より)
文庫蔵書は、主として新村出先生の手稿及びその収集にかかる図書・資料・国語学・言語学・及びこれに関連するもので、約1万3千冊からなり、貴重文献・指定文献及び普通文献に区別されている。

建物の由来

「元来この家は明治初年に木戸松菊公(孝允)が鴨川の西畔に住してをられたころの邸宅、しかもその終焉の邸宅となったその一部分で、それが大正十二年に今の木戸家の厚意で私に授かり、それを私がこの小山の一隅に移築したものであった。」
(新村出全集 第12巻“私の書斎”より)

▲新村出旧宅はもと木戸孝允の邸宅