◆新村出について

新村出博士の略年譜

明治9年(1876) 10月4日関口隆吉・静子の次男として山口県に生まれる。
関口家は代々今川家に仕え、徳川家幕臣、隆吉は勝海舟と親交があり、山口県令。
明治20年(1887) 静岡県尋常中学校入学。
明治22年(1889) 新村家の養子となる。養父猛雄は徳川慶喜公家扶。
明治25年(1892) 推薦せられて第一高等中学校に入学。
明治29年(1896) 東京帝国大学文科大学博言学科入学。教授上田万年。
明治32年(1899) 東京帝国大学文科大学博言学科卒業。
明治35年(1902) 東京高等師範学校教授。
明治37年(1904) 東京帝国大学文科大学助教授兼任。「東西語法境界線概要図」編了。
明治40年(1907) 1月25日京都帝国大学文科大学助教授言語学研究に満2ヶ年英仏独留学。
明治42年(1909) 京都帝国大学文科大学教授、後官制改正により京都帝国大学教授。
明治43年(1910) 文学博士。
大正12年(1923) 小山中溝町に定住(現在新村出記念財団)。
昭和2年(1927) 「東方言語史叢考」刊行。
昭和3年(1928) 帝国学士院会員に選ばれる。
昭和5年(1930) 「東亜語源志」刊行。
昭和6年(1931) 吉沢義則と共に近畿方言学会を起こす。
昭和10年(1935) 講書始めに国書進講(「和名類聚抄」)。
昭和11年(1936) 京都帝国大学退官、正三位勲一等瑞宝章。京都帝国大学名誉教授。
昭和12年(1937) 日本音声学協会会長に選ばれる。
昭和13年(1938) 日本言語学会創立、選ばれ会長に就任。
昭和16年(1941) 日本方言学会会長。
昭和28年(1953) 日本エスペラント学会顧問。
昭和30年(1955) 5月25日「広辞苑」第一版(岩波書店)
昭和31年(1956) 文化勲章、京都名誉市民の表彰を受く。
昭和42年(1967) 8月17日永眠。享年92歳。

▲新村 出

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